6人だった彼らを思う
わたしが彼らのファンになったとき、彼らはまだ6人のグループだった。わたしは未だに6人の彼らを思う亡霊だ。
というような、6人だったKAT-TUNが今でも好きで好きでどうしようもないという懐古厨なブログを書くつもりでいたのだが、突然、急すぎる発表があったため、それどころではなくなった。
来年の春に、田口淳之介がKAT-TUNを脱退すると発表がされた。
本当に、突然の出来事だった。正直、意味がわからなかったし、今でもまだ実感がわかない。
ただ、さみしくて悲しくてつらい。
夢かもしれない。嘘かもしれない。そう思って寝て起きて、現実だったことに絶望して、3度目の朝を迎えた。
その発表がされたとき、わたしは家でその番組を見ていた。
久しぶりにベストアーティストをリアルタイムで視聴したいと思い、仕事も早々と片付けてご飯も食べてビールを手に楽しむつもりだった。
あの発表がされる直前まで、本当に楽しみに彼らのパフォーマンスを待っていた。
今思うと、リアルタイムで番組を見たいという気持ちになったこと自体、すごく久しぶりのことだった。
わたしはこれまでに、2度、メンバーの脱退を経験している。
6人が6人ではいられなくなったとき、恐らくわたしの中で、わたしの愛したKAT-TUNはもうなくなっていた。
6人でいる彼らが好きだった。誰か1人でも欠けたらKAT-TUNじゃないと思っていた。
特にあの時代、他グループではメンバーの脱退が多く起こっていて、みんな脱退に関して敏感になっていたと思う。ただ、わたしはそれを遠くから別次元の話とばかり思っていた。そう、KAT-TUNには関係のないことだ。だって、だって、6人でKAT-TUN。6人がKAT-TUNだと言っていた。他の誰でもない、彼らがそう主張していたから、わたしはそれを愚かなほどに信じていた。
だけど実際に、わたしが彼らを見ていられたのは、たったの5年だ。
この界隈では有名すぎるごくせん2でわたしは亀梨和也を知り、好きになり、彼の所属するKAT-TUNを好きになった。
もっと見ていたかった。彼らの活躍をもっと見ていたかった。
パフォーマンスも好みもバラバラな彼らが6人揃うと最強になる瞬間が好きだった。好きなことを好きなようにやって、ギラギラと強い輝きを放つ彼らが誇らしかった。
いつだって、彼らは彼ららしかった。それが何より大好きだった。
5人になってもKAT-TUNを追い続けたのは、今までくれた沢山の希望に対する恩返しだった気がする。ある種の義務感のもと、わたしはKAT-TUNのファンでい続けた。
きっと、5人になった彼らは何か大きな大切なものを失ったまま、あてもなく何かに押されるように、進んでいた。違和感と、不信感と、不安感と、そんなものを抱いたまま、彼らは走り続けてしまった。
見ていられなかったけど、見なくてはいけなかった。当時を振り返ると、そんな気持ちだ。
わたしの愛した、大好きだった彼らがガムシャラにでも身を削ってでも進むというのなら、わたしはそれを見続けなければいけない。それが彼らのファンになったわたしの義務だと思った。
その後、5人から4人になった。
わたしの大事なものがまた一つ減ってしまった。
聖が抜けたとき、わたしは仁が抜けたときとは違う焦燥感を抱いたのを今でも思い出せる。KAT-TUNから、何が零れてしまったような、ひとつずつ大事なものがこぼれ落ちてしまったような、そんな焦燥感だ。
このままだとバラバラになる。そういう危機感さえあった。
正直、もうこれ以上応援出来ない。もう見ていられない。ごめんなさい。嬉しいとか楽しいとかそういう感情をあなたたちに向けられない。彼らを真っ向から見ていられる気持ちにどうしてもなれなくて、わたしは初めてCDを買わなかった。楔を、わたしは買えなかった。
そこから亀の映画が決まったのをきっかけに、また彼らを見続けることを決めたのだけど、まさかこんな展開が待ってるとは誰も思わないよ、田口。
ベストアーティストで発表されたとき、わたしは「…なーーんて、冗談でした!」と言ってくれるのをずっと待っていた。手が震えて、指先が冷えて、心臓が痛くなる中でわたしは彼からその言葉が出るのを待った。
田口からの言葉が終わり、亀が口を開いたとき、あぁ、本当なんだ。と知った。すごく、苦しかった。
聖が抜けたときの焦燥感が思い出される。
バラバラになってしまうような感覚。KAT-TUNの大事なものがまたこぼれ落ちてしまった感覚。
ショックだったし、悲しいと思ったし、つらいと思った。
ただ、田口を嫌いになったり怒ったり責めたり、そんな感情はわかなかった。
ただ、なんで?と思った。
本当に、なんでその選択をしてしまったのかわからなかった。理由が思いつかない。
だって田口はKAT-TUNが大好きだと全身で伝えてくれていて、一番KAT-TUNを愛してくれていたんだと思っていた。何が起こっているのか、まったくわからない。
ただ、もしも田口の好きなKAT-TUNが6人の頃のKAT-TUNを指すのだとしたら?本当は人数が減っていくたび一番傷ついたのが田口だったとしたら?
わかってしまう。5人になってからの違和感も、悲しみも苦しみも焦燥感も。わたしもそう感じたから、わかってしまう。
そんな気持ちを抱いたまま、ずっとKAT-TUNの田口淳之介でいてくれたのかもしれない。
あの笑顔の裏には想像もつかないほどの悲しみが彼をずっと縛りつけていたのかもしれない。
そう思うと、やりきれない。
彼の気持ちを否定できない。
もちろんこんなのただの想像にすぎないし、脱退の理由は他にあるんだと思う。
それでもわたしには、彼が単なる方向性の違いだけでKAT-TUNを離れるようにはどうしても思えない。
もう、ベストアーティストの発表から3日も経つのに、わたしはまだ田口がKAT-TUNのメンバーじゃなくなる日を想像できない。
現実だとは到底思えない。
ただの一ファンであるわたしがそうなのだから、残されたメンバーはもっとそう思ってるだろう。
どんな悲しみと切なさとやるせなさを感じているんだろう。
続けてほしいとか、こうなってほしいとか、それでも応援するとか、そういう次元の気持ちにわたしはまだ追いついていない。
ただ、この悲しみを持て余してどう処理していいのかわからなくて、こうしてブログに書き連ねることしか今は出来ない。
ひとつ、確かなことはわたしは彼らに何かを求めていないということだ。
求めていないと言うと語弊があるかもしれないけど、わたしは彼らに、彼ららしくいてほしい。彼らが、自分が一番カッコイイと思うこと、好きなこと、やりたいことを叶えてほしい。そこだけに向かって、ファンの要望なんて見向きもしてくれなくていい。
だってわたしは、そんなKAT-TUNを愛した。
自分のやりたいことを精一杯やって、カッコイイと思う自分の価値観を信じて突き進むKAT-TUNを愛した。
どうか、彼らが彼らの最も納得する道を選択出来るように。
わたしはそれだけを祈っている。